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1995年1月17日阪神大震災当日に体験したこと

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成人式の2日後の1月17日(阪神大震災当日)

記述はすべて1995年1月17日、私が20歳の時に実体験した回想です。写真は1995年1月17日のもの3枚、1995年2月3日のもの39枚。「写ルンです」というフィルム式カメラで自分で撮影。

2階が1階を押し潰している家:西宮市千歳町
2階が1階を押し潰している家

国道43号線立石交差点付近の阪神高速高架下落箇所
国道43号線立石交差点付近の阪神高速高架下落箇所

ローズハイツ北側付近阪急電車の西宮北口⇔夙川間高架崩壊現場:西宮市寿町・若松町付近
ローズハイツ北側付近
1995年は僕らの世代は成人式だった。
当時1月15日の固定祝日であった成人式を終え、そのまま同級生らと飲み会をした。深夜になったのでそのまま夙川には戻れず、その日は大阪の実家に泊まった。

そして、翌1月16日に一人暮らしの夙川駅近くの千歳町のアパートへ戻る。アパートは2階建ての2階だ。木造モルタル造り、いわゆる文化住宅である。

17日には1限目から大学のフランス語のテストがあるので、しっかりと復習しておかなくっちゃ。そう思って目覚ましを午前5時にセットして、早めに床に就いた。

翌朝、予定通り午前5時に起き、フランス語の教科書とにらめっこしながら、試験範囲の問題集を解きなおし始めた。難しい。。。眠い。。。そんな感情が支配する中、うとうと眠りそうになる自分に心の中で鞭を打ちながら頭の中に単語や文法を刻み込んでいた。

ふと外を見ると真っ暗だったが、普段なら鳴いているはずの小鳥のさえずりが聞こえないのを不思議に思った。外は1月中旬冬真っ只中の早朝をそのまま絵に描いたようなひんやりとした空気が支配していた。

「さあ、学校に行くまで後2時間頑張るか。」そう自分に言い聞かせて机に向かいなおした。

とその時、非常事態が起こった。

「地震か!?」

とっさにそう思った。

地震といえば「震度3、30秒」くらいのイメージしかなかったので、まあ直ぐに収まるだろうと安易に考えようとしたその瞬間、期待は裏切られ、家にトラックが突っ込んできたのかと思えるほどの衝撃が自分の体に襲い掛かってきた。

とっさに出た言葉は、「なんやねん!、ちょちょ、待ってくれ!!」こう叫んだ記憶しか残っていない。

激しい揺れが収まって、何か物が自分の体に当たるのを感じながらふと我に返ったとき、椅子から飛ばされてしりもちを着き、ひっくり返った机の脚を持ちながら呆然としている自分がいた。一瞬、辺りに沈黙が流れたと思った瞬間、隣のアパートの方から、「大丈夫か?大丈夫か?」と大声で叫ぶ男性の声が遠くに聞こえた。子供の泣き声が至るところでこだまする。

自分も何が起こったのかわからず、地震が家を襲ったと分かったのは地震が収まって数分経ってからだった。

とりあえず、辺りは午前6時前、真っ暗なので電気を点けようと、紐で吊るすタイプの照明の紐を引こうと思ったが、いつもの場所にそれは無かった。やがて夜が明け、周りが明るくなってから分かったのだが、紐で吊るされた照明は、揺られてふすまの外れた押入れの中で粉砕されていた。蛍光灯が割れた音なんてまったく記憶に無かった。

すぐに部屋の中に妙にガスのにおいが充満してきているのに気付き、これは爆発するかもしれないと真っ青になり、換気を試みた。しかし、家の窓という窓はことごとく傾いたアパートの歪みのために開けることは出来なかった。

透明の窓の外には、遠くで3本ほど大きな煙が天に向かって立ち昇っているのが見えた。

火事か!?

いっそう自分の恐怖心を煽り立てられた。直ぐに家を脱出することにした。玄関へ行き、家を出ようとすると、こちらも家のドアがまったく開かない!

「やべえ。」
心臓がドキドキするのが分かった。

外で大人の声がする。「早く出てきなさい。ドアなんか蹴破ったらいいから急ぎなさい。」
ドアののぞき穴で見ると、それは大家さんと1階の住人のおじさんだった。すでにアパートの人たちは全員避難していたようで、自分だけが残されていた。話をしたことがある人の顔を見て緊急時にもかかわらずホッとした。

何度か家からの脱出を試みたが、なかなかドアは開いてくれない。勢いを付けて思いっきりドアをとび蹴りをすると、ドアは鈍い音を立てて少し開いた。

「もうちょっと。」

そう思って何度か同じ勢いでとび蹴りをし、ドアはようやく開いた。
「安井小学校が避難先になっているから、必要なものをもって直ぐに行きなさい。このアパートは倒壊の危険があるから貴重品を持ったら直ぐに出るように!」

言われるがまま、とりあえず貯金通帳と印鑑、服を着込んで家を出た。

1995年1月17日震災当日の自宅アパート前:西宮市千歳町4-27
1995年1月17日震災当日の自宅アパート前
1995年1月17日震災当日の自宅アパート前2:西宮市千歳町4-27
1995年1月17日震災当日の自宅アパート前2

アパートの前の2階建ての1軒屋は、2階部分が1階を押し潰していた。道に屋根瓦がなだれ落ちていて、僕はその瓦の上を避けるように歩いた。言うまでも無く、明るくなってから出る直前に見たアパートの中は、食器棚は倒れ、食器がすべて割れていた。

この地震で僕が負った唯一の傷は、この割れた食器に触れた傷だけだった。運が良かったとしか言いようがない。1.5メートルの高さの台に乗せていた電子レンジは、そこから落ちてフローリングを何度も転がったからか、扉部分が本体から半分取れて壊れていた。

2階から1階を見ると、アパートの崩れ落ちた屋根瓦が、1階の小奇麗なガーデニングの鉢々に、無残にも覆いかぶさっていた。

1995年1月17日震災当日:西宮市千歳町4-27
1995年1月17日震災当日

自分が寝ていたベッドには、頭の部分に鉄パイプの大きなハンガーが倒れていて、もし早朝早起きして勉強していなかったら頭に致命的なダメージを受けていただろうと思って血の気が引いた。家の中は飛び散った何か分からない破片で一杯だったので、怪我をしないように用心しながら歩ける道を作ったのを記憶している。

さて、小学校へ避難するよりも直接実家へ帰ろうと思い、タクシー会社に電話をしようとした。家の電話も地震直後は友人などと話が出来たが、その後すぐに不通となった。公衆電話からも何度かタクシー会社へ電話を試みたが、回線がパンクしているのか切断されているのか、
全く通じなかった。1社だけつながったタクシー会社の方は、

「社員が誰も出勤してきていないので、本日の配車は不可能です。」

とだけ言われた。

直接タクシーを拾おうと、最寄り駅である夙川の駅前に移動し、タクシー乗り場へ行ったが、タクシーは全くなく、その後行きかうタクシ-も数台見たくらいだった。もちろんその数台もすべて乗車済みであり、止まってくれるタクシーはなかった。

仕方ないのでそのまま食料を調達してから避難所に指定されている小学校へ向かうことにした。2号線神楽町交差点の南側のファミリーマートでパンや当面の食事を買おうと思い、ファミリーマートへ着いたのはいいが、なにやら長い列が出来ている。

入場者制限だ!!

仕方ないので長い列の最後尾に並び、待つこと40分、やっと中に入ることが出来た。中に入ると、店じまいをしたコンビニのような様相で、
おなかが膨れそうなものは何一つ置かれていなかった。

と言うより、すでに午前10時を過ぎていたので、多くの人が買い込みに走ったのだろう。ばら売り駄菓子のガムや飴しかないではないか!!!食糧を家に備蓄していたわけでもないので、朝から何も食べていない。仕方ないので、ばら売り駄菓子の飴とガムを100円分くらい買って、避難所となる小学校へ向かった。

後から思えば、商品の搬入も交通事情から不可能であったと思う。道路事情を言うと、大阪から神戸方面へ向かう道路は亀裂が入ったりしている箇所も多々あったので、迂回したりで相当な混雑があった。

住んでいたアパートの北側の阪急神戸線の高架は横倒しに崩れていた。国道43号線の上を走る阪神高速も43号線建石の交差点付近は高架が崩れてもちろん走行不能。

避難所の安井小学校へ着くと、学校の先生だろうか?音楽室に行くように言われ、言われるがままに音楽室へ向かった。すでにスペースはなく、真ん中辺りの小さい空間に入れてもらうことにした。持ってきた自分の毛布を四つ織りに敷いた。音楽室内のすべての人が食い入るようにニュースを見ていた。

「今日午前5時46分ごろ、兵庫県南東部で大規模な地震が発生しました。現在確認されている死亡者は7名に上ります。倒壊している家屋が多く、死傷者は増える見込みです。」

のようなニュ-スが流れていたと記憶している。

「ここに来るまでだけでかなりの家やビルが倒壊してたからなぁ。」

その時のニュースで初めて地震の規模を知った・・・・・

あれから19年。

瓦礫の上を踏み越えて避難した記憶は鮮明に頭の中に焼き付けられています。当時の、鳴り止まないサイレンの音、異常な交通渋滞、避難所生活の一日、同級生の死、社会の教科書で見た戦後すぐの廃墟のような町並み。。。

現在、器具で家の家具を固定させるくらいの対策しかしていませんが、毎年1月17日はもう一度、出来る対策を考えるきっかけとなる日です。当時一番安心出来たのは、食料やお金よりも、隣に住む大家さんと日常的に話が出来る関係であったこと、階下のおじさんがいつも声を掛けて下さる関係であったということです。

知らない土地での20歳の一人暮らしは、自分のことを知ってくれている大人が物理的に近くにいるということが大切だと教えてくれました。地域のコミュニティは普段何気ない行動から始まっていると思います。自分の家の対策だけでなく、日ごろのご近所との挨拶、会話、大切にしていきたいと思います。

と同時に、当時の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

阪神大震災夙川駅周辺、西宮市千歳町付近の写真

(地震の2週間後の1995年2月3日に現地を「写るんです」で撮影)

千歳町か常盤町あたりに仮設住宅を建設中
千歳町か常盤町あたりに仮設住宅を建設中

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し1
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し1

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し2
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し2

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し3
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し3

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し4
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し5

千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し5
千歳町4-27の文化住宅前のお宅取り壊し6

アパートの自転車置き場
アパートの自転車置き場

アパートが傾き、洗濯機も壊れた
アパートが傾き、洗濯機も壊れた

キッチン付近の掃除
キッチン付近の掃除

1995年まで建っていた千歳町4-27の4世帯入居アパート
1995年まで建っていた十歳帳4-27の4世帯入居アパート

ドア付近の要注意の黄色の張り紙
ドア付近の要注意の黄色の張り紙

入口付近のひび割れ
入口付近のひび割れ

阪神大震災当時の阪急夙川駅:西宮市羽衣町
阪神大震災当時の阪急夙川駅

グリーンタウン夙川前付近(山手幹線開通前):西宮市羽衣町
グリーンタウン夙川前付近(山手幹線開通前)

倒壊した阪急高架場所:西宮市大井手町・寿町付近
倒壊した阪急高架場所

夙川駅羽衣町付近の駅前の橋の解体作業:西宮市羽衣町
夙川駅羽衣町付近の駅前の橋の解体作業

夙川駅南側:西宮市羽衣町
夙川駅南側

千歳町・常盤町付近の瓦礫の山
千歳町・常盤町付近の瓦礫の山

千歳町4丁目、現クレインコート夙川付近
千歳町4丁目、現クレインコート夙川付近

千歳町4丁目付近
千歳町4丁目付近

ローズハイツ前、住まいの相談室ちひろ付近阪急高架倒壊場所:西宮市寿町・若松町付近
ローズハイツ前、住まいの相談室ちひろ付近阪急高架倒壊場所

千歳町1か2辺り
千歳町1か2辺り

千歳町2丁目辺り?
千歳町2丁目辺り?

千歳町2丁目辺り
千歳町2丁目辺り

国道43号線立石交差点付近の阪神高速高架下落箇所2
国道43号線立石交差点付近の阪神高速高架下落箇所2

瓦礫の山
瓦礫の山

千歳町4-27
千歳町4-27

自宅アパートの1階部分
自宅アパートの1階部分

隣のアパートの1階
隣のアパートの1階

家がほぼ全壊
家がほぼ全壊

となりのアパートの中
となりのアパートの中

となりのアパートの中 2
となりのアパートの中2

となりのアパートの中 3
となりのアパートの中3

となりのアパートの中 4
となりのアパートの中4

となりのアパートの中 5
となりのアパートの中5

阪神淡路大震災から20年の今年に思うこと

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山口 敦

代表取締役株式会社ウェブロード
1974年大阪生まれ。西宮商工会議所青年部所属。プロフィールはこちら。経営理念「頑張る人の自立を応援する」の下、IT活用に積極的な個人・中小企業のWebサポートを積極的に展開しています。

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